自分とはそもそも何者なのでしょうか。らしさとはどうゆう意味なのでしょう。
私達は、母親の胎内で誕生した瞬間から、周辺の環境、社会からの影響で形作られていく生命の総体です。
遺伝的なものを携えて(もしかしたら宿る魂の素質も)私になろうとする命が始まります。
生を受けた瞬間から私の周りの環境に刺激を受け、自分の中に生まれる何らかの感覚なり感情なりを感じながら、その感覚に、社会の一員となるための矯正力が働き、言葉を覚え、社会の規則が教え込まれ。
急激に発達、変化していく心身に、知識の洪水が押し寄せてきます。
その洪水に押し流され、時には逆らい、ときには立ち止まりその影響下で私たちは育っていきます。
様々な出来事が起こり、その事に反応して様々な感覚が沸き起こり、次第にその出来事の意味を言葉で教え込まれ、自分で学習して覚え込んでそれが一つの概念となり、出来事とは別に影響を及ぼし始める。
次第にその概念が実際の出来事よりも、大きな存在となり、私たちの感覚を騙し始める。
概念の鎧に囲まれ、それが自分の一部になったかのような錯覚にとらわれ、私がどんな顔をしていたか、どんな皮膚をもっていたかを忘れ始める。
いつの間にかその鎧の重さに耐えかねて、その場に座り込む。
軽やかだった身体を忘れ、感覚も鈍くなり周りの空気感も感じなくなり、
いつの間にか私は私ではなくなる。
生を全うするまでに、私たちはそのことに気付くことができるのでしょうか。
医療相談、健康相談担当
医師 平田 修